Friday 19 May 2006

Facing The Reality

今日は週一のプレイグループの日でした。
なんとなーく朝から気分の晴れないまま思い腰を上げて行ってきたんですが、ピアは楽しそうにしていたので行ってよかったなと思いました。今日は、たまに見かけるピアより二周りくらい小さな女の子が来ていて、チャンスがあったのでその子のママに話しかけてみたんです。ピアと1ヶ月しかお誕生日が違わないのに、ちゃんとしっかり座ってるし、高ばいで動き回ってるし、楽しそうにおもちゃ振り回して遊んでるし、発達はずいぶんピアより進んでるようです。彼女はダウン症だとゆうことですが、それでふとまた考えさせられました。ピアは今のところ原因不明の発達遅延とゆう診断ですが、いったいそれってどうゆう意味なんだろう?いつまでもそのまま原因わからないまま、どんどん他の子との差が開いていくんだろうか?ほとんど可能性はない事わかってはいるけど、もしかして普通の学校行けるくらいに追いついたりする事ってあるんだろうか?

もうひとつ、今日は正式にプレイグループに参加する為の書類にサインをさせられたんですが、その時にも気になる事がありました。参加が認められるには、身体障害、視覚障害、聴覚障害、知的障害、もしくは自閉症などに当てはまるとゆう条件なんですが、書類の説明をしてくれたディレクターに、ピアは一応“知的障害の疑い”ってしておくねって言われて・・・。まだこんなに小さいのに身体発達障害の方が目に見て明らかなんじゃないの?って思ったんですが。そんなにピアって知能の発達が遅れてるように見えるんでしょうか?自由に動き回るもっと小さな体の子の横で、ただただ横たわって手を口に入れてニコニコしているだけの娘がなんだか少し情けなくなって、何となく辛くあたってしまったような気がします。そんな自分にまた自己嫌悪。あ〜、まだまだ修行不足ですよね。

昨日、前にも書いたピアのボーイフレンドのママと電話で話しました。彼女は南アフリカ人で、今国から両親が訪ねて来ています。前回のグループではお父さんとお会いしたんですが、私たちが旅行中のグループにはお母さんを連れて行ったそうです。そのときお母さんが泣いてしまったらしく、彼女もとても辛い思いをした、と言っていました。そうですよね、きっとお母さん、グループにいる他の障害児を見る事によって、自分の孫の障害を目の当たりにしたんですね。わかるような気がします。私の父もきっと耐えられないでしょう。ピアのバースデーパーティーは家ではできないなって考えた事があります。横に住む両親にはきっとピアのお友達に会うのは辛すぎると思う。でもこれがピアの現実、私の現実。障害児の親にとっては逃げられない現実の世界、まっすぐに向き合わざるをえない世界。特に遠くに住むおじいちゃんおばあちゃんにとっては、ただただかわいい孫だった彼が、彼がいる世界を見る事によって、はじめて障害児だってこと意識しちゃったんでしょうね。それはとても辛いことだと思います。

また、自閉症の3歳足らずの男の子のパパと話したのはもう2ヶ月ほど前のグループでだったと思います。医者には自閉症と言われているけれど、自分たちはそんなことを認めない、と淡々と話していました。私はそのとき、この人この場でそうゆうこと言うべきじゃないんじゃない?って思ったんですよね。ここには“認めざるをえなかった人”たちがいっぱいいるんだよ?それは思ってても言うべきじゃないよって。

現実との向き合い方も人それぞれです。
私はいったいこれからどうこの現実と向き合っていくんでしょう?どう向き合っていけばいいんでしょう?この今現在のuncertaintyも、これからの将来に関するuncertaintyも私たちのreality。これからすこしずつ、その答えを見つけていくつもりです。

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