父方の祖母が他界しました。
大 人になるにつれ、 自分のことしか考えていない祖母が嫌いになって、いつもいつも“早く死にたい”と言っていたので、死ねばいいのに・・・と思っていたくらい。最後に会った のは3年ほど前。会う前はいつも“もう年なんだし”と優しい気持ちになったりするんだけど、会えばいつもそう思ったことを後悔させられました。家族にまで 嫌われて悲しい人だと哀れには思っていましたが、何度も許せないと思うようなことがあり・・・。それでも私が親になったとき、この人は私の父の母親、この 人がいて今私の子供たちも存在するんだと思い、子供たちの写真をことあるごとに送っていました。でも、たまに電話で話すことがあっても、子供たちの様子を 聞くこともなく、すぐに私の母に代わってと言うし、挙句の果てに“あんたとこの子(最後まで子供たちの名前も、ダンナの名前さえ覚えようとはしませんでし た。ここで言う“あんたとこの子”とはピアのこと)誰に似たん?ダンナに全然似てない。ダンナに似たらよかったのにな。ハーフの子供はかわいいから。”と 言われ、見切りをつけました。なに?それって私の子かわいくないって言ってんの?極めつけは“よそで作った子か”みたいなことを言われ、いくら年寄りでも 言って許されることと許されないことがある、と本当に腹がたちました。それが半年くらい前の話で、それ以来写真を送ることもやめ、話もしていません。結 局、カイを7ヶ月の頃に見ただけで、もう一人の曾孫を見ることもなく、その子に障害があることを知ることもなく死んでしまいました。今までピンピンして て、いつになったら死ぬんやろーって思ってた矢先のあっけない死でした。自分の娘(私の叔母)を訪ねていたアメリカで、私の両親はそれで向こうに行ったん ですが、家族全員に最期を見守られたわけでもない、寂しい死でした。
実際いつかはこんな日が来ることはわかっていたけれど、私自身どう感 じるか想像もつかなかったんですよね。その日が来た今、正直言ってどう感じたらいいか わかりません。ただ、まだあの人を嫌いになる前の頃が思い出されます。小学生の頃毎朝一緒に食べた朝ごはんや一緒に見た連続ドラマ。一緒にはまった“おしん” を見て、奉公に出ていたときに自分も食べていたと作ってくれた大根飯の味。“たけちゃんマン”のことを“ヤケテマング”と言っていたこと。肩こりのひどい 小学生の私に“あんま”してくれた部屋。それがくすぐったくって笑いが止まらないで二人で大笑いしたこと。祖父のお墓参りのたびに涙を流していたこと。買 い物とお金を使うことが大好きで送ってきてくれた子供たちへの贈り物の数々。最後に会ったときの食事、そして別れるときに泣いていたこと・・・。
Saturday, 27 May 2006
Emptiness
posted by kpad at 9:33 pm
Label: People We Love, Thoughts
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1 comments:
お祖母さまのご冥福を心よりお祈りします。色んなことがあったとしても、家族なので、沢山の思い出があるし、辛い思いをした中にも、温かい思い出もあるよね。複雑な気持ちだと思うけど、身内の不幸は特に悲しいよね。早く元気になってね。人はいつかお別れを言うものと分かっていても、親しい人を亡くすことって、とても辛くて耐えられないよね。
ご両親は大丈夫?早く元気になられるよう、心よりお祈りします。カイとピアの可愛い顔を見せて元気づけてあげてね。
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