Monday, 1 January 2007

New Year's Resolution


Happy New Year!
みなさん、楽しい年越しを過ごされましたか?
我が家は毎年恒例のうちの父が作るローストビーフディナーと年越テンプラそばで家族全員揃っての年越しでした。夕食後はみんなで“坊主めくり”“ババ抜き”なんかのカード遊び、ピアは少し休んで、カウントダウンの花火までを楽しく過ごし、12時には起きたピアも一緒に花火を見て、ハッピーニューイヤーのキスとハグしてベッドに入りました。

トランプで一人前に遊べるようになったカイに成長を見、花火に見入るピアに進歩を感じ、楽しいことも辛いこともいっぱいあった去年一年を想いました。長かったようであっという間だったようで、でも去年のこの日に撮った写真を見ると、やっぱり一回り大きくなった子供たちが目の前にいる。私も子供たちと一緒に成長できたのかな。

今年一枚目、写真一枚の簡単レイアウトです。日本から両親が仕入れてきたTシャツを来た子供たち。浅草で買った“一番”って書いてあるあれです(笑)。そこからインスパイアされた今年の抱負。毎年ダイアリーの一番はじめのページに今年の抱負を書いています。いくつも決めて、守ったものも三日坊主だったものもある。今年はシンプルにたった一つだけ、子供たちに約束です。カイとは二人だけの時間をいーっぱい、ピアには私にできるすべてを。
あなたたち二人が私のナンバーワン、プライオリティー。そのためには、だんなはもちろん、周りの家族や友達の力を借りて、私自身が身も心もげんきじゃなくちゃ。

みなさん、今年もどうぞよろしくお願いしますね!

今日のレイアウト: products used: Vintage Label Papers by Rhonna Farrer
fonts used: Dream Orphan, Handwriting Dakota

Wednesday, 6 December 2006

Words Are Powerful


Two years ago, on Saturday, 4 December 2004, I saw you for the first time. I still remember like yesterday the moment I pushed you out into this world. You didn’t cry and you weren’t breathing and soon, the doctors had to take you away from me. That was the beginning of our long, hard, and incredible journey together. I knew from the beginning there was something wrong but to what extent, I had no idea.

Soon, I started to worry. I wondered what I had done wrong. I cried and I hoped. I hoped it was just a bad dream. When I closed my eyes at night, I hoped everything would be just the way it should be next morning. You didn’t look into my eyes. You didn’t cry for help, you didn’t look like you knew me at all. I felt guilty that I was finding it difficult to bond with you. I wanted to runaway. It was at times very difficult to be left with you alone at home. Taking you to the endless therapies was even harder. No matter what I did, it didn’t look like you were making any progress. I spent hours in front of my laptop searching for an answer. I asked doctors so many questions but nobody could give me an answer.

And one day, I found the answer. I found the answer in you. I found the answer in your beautiful smiles, in your crystal clear eyes looking into my eyes, in your cutest giggles, in your cries trying so hard at therapies, in your tears, in your first signing, in your little facial expressions trying to tell me something, in your hand movements, in your tiny cold feet, in your smell, in your touch, and in those precious moments I share with you. It was not the answer I was looking for, but it was far better than that. So what if you’ll never walk? I will be your legs and take you anywhere you want to go. So what if you’ll never talk? I will be your voice and let the world know how wonderful you are. I love you so much, baby, like nobody can ever love anybody.

That was my first two years with you. Sure, it still hits me so hard sometimes, I think I can’t go on anymore. I still cry. But I now know that you know me. I’m your mother and you are my darling daughter. That’s all that matters. I will love you and protect you and I will be with you all the way.

It is just the beginning of our long, hard and incredible journey together.

Happy Birthday, baby.....

Love,
mummy


ことばが結構好きだったりします。
デジタルスクラップブッキングをはじめたのは、まずは撮りためた子供たちの写真を何かいい方法で保存できないかなーって思った事。そのうち写真をいじったりするのが楽しくなって、写真とタイトルだけのレイアウトなんかもたくさん作りました。しばらくして、そんな写真の瞬間を言葉にも残したいと思うようになり、それがいつしか自分の気持ちや子供たちへのメッセージなんかになりました。このブログをはじめて、ジャーナリングをもっと大切にするようになりました。タイトルと少しの文章だけで写真が語る時もあるけれど、時には自分のその時の気持ちを思うままに並べたりします。

言葉って不思議。何気ない一言で人を最高にしあわせな気分にしたり、悪気のない一言で人をどうしようもなく傷つけたりもする。それが口から出てくることばでもそうだけど、活字にするともっとパワフルな気がします。どんなへこんでる時でも、たとえばどんなに子供たちのこと愛してるかって書いていれば、世の中で大切なことはそれだけに思えてくる。どんなに誇張した表現であってもそれが真実になる。落ち込んでたその原因なんて大したことじゃなくなってくる。ステキな歌や、共感した文章、引用、元気をもらった詩。そんなステキなことばたちに出会うと、必ず書き留めるようにしています。それをそのままレイアウトにしたり、すぐには使い道を思いつかなくても頭のどこかに残っていて、きっといつか役立つ時が来ると思うから。それがレイアウトにであれ、人を元気づけたい時であれ、もちろん私自身のためにであっても。

上は、ピアの誕生日のレイアウトを作ってる時に思い浮かんだことばたちです。私とピアの2年間です。書いてるうちにどんどん、ピアの次の1年もどんなことがあっても大丈夫って思えるようになってきました。きっと私にはパーティーがどうだったとかピアのその1日を並べ立てるより大切だったように思う。以前にも書いたように、スクラップブッキングは私のセラピー。それは写真でレイアウトを作り上げるってこと以上に、思っていることを綴るってことの方なのかもしれないです。ほんとにことばってパワフルです。

今日のLO: はじめて作った2ページレイアウトです。始めは右だけ作ってたんだけど、どうしても左の写真を大きく入れたくて、それと肝心のジャーナリングの場所がとれなかったのもあり、前々から挑戦しようと思ってた2ページLOに手を出しました。バランス的にどうか?ですけど、楽しく作れました。今回みたいにたくさん写真を入れたい時なんかにも良さそうですね。Product used: Album in a QuickPage Version 2 (modified) by Anna Aspnes, All Natural brushes by Rhonna Farrer

Friday, 11 August 2006

Life's Not Fair

昨日はカイのプリスクールの園長に、2歳からそこにピアを通わせる可能性について話してきました。そのことについては、またのちのち書くことになると思いますが、話はやっぱりカイのことに。最近よく"It's not fair!"って反論するらしい。どこで覚えてきたのかその言葉、今日は私が使いたい。

昨日はつらい一日でした。
毎週木曜のピアのための言語療法講座で、ピアの行く障害児プレイグループにいるダウン症の女の子の家族に不幸があったことを知りました。 まだ2ヶ月の赤ちゃんが亡くなったんです。夜寝かせて朝起きたら・・・。解剖もしたそうですが何も見つからず、結局SIDS、乳幼児突然死症候群でかたずけられてしまったようです。

ほんとにたまらないです。お母さんとは同じプレイグループ、そして同じ療育センターに通っているので、よくお話していました。ついこないだ小さな小さな男の子、授乳しながらいろんな話をしていたのに・・・。こんなことがあっていいの?彼女たち家族は、もう十分つらいことを経験したじゃない?なんで死ぬのが彼女の子じゃないとダメなの?そこの道歩いてるそのお母さんの赤ちゃんでもよかったんじゃない?なんで障害のある子供を持って、もう十分つらい思いしてる彼女から赤ちゃん取りあげるの?こんな不公平なことってないじゃない?

ピアの障害のことが現実になって以来幾度となく思ったこと、“どうして私なの?どうして障害を持って生まれてきたのがピアなの?”。とっても前向きに、障害のあるピアが私のピアって思えるようになってきた矢先、またその思いがぶり返してきました。健常な子供を持つお友達の皆さん、気を悪くしたらごめんなさいね。でもどうしても思わずにはいられない。どうして他の子じゃなくてピアなの?どうして彼女の赤ちゃんなの?

Thursday, 27 July 2006

Welcome To Holland


今日は私のブログのタイトルにも使わせていただいた、"Welcome To Holland"の日本語訳を見つけたので紹介させていただきます。このエミリー・パール・キングスリーさんとゆう人、ダウン症のお子さんがいます。実はセサミストリートのライターさん。
正直、私はこの日本語訳はあまり好きではありません。やっぱり原作の方がなんだかしっくりくるんですけれど、そちらは右リンクの"My Inspiration"の方で紹介しています。いつか時間ができたら自分で訳したいなって思ってますが、それでも原作の方が好きなんだろうな、きっと。ちょっと長いですけど読んでみてください。



オランダへようこそ
エミリー・パール・キングスリー著  腰川一恵翻訳

障害をもった子どもを育てた経験を書いてほしいという依頼がときおりあります。 それは、障害をもった子どもを育てたことがない人が障害をもった子どもを育てることはどういうことかを理解できるように、またどのような気持ちだったかを想像する助けとなるようにです。それは、こんな感じでしょうか・・・。

赤ちゃんができたとわかった時は、イタリアへの素晴しい休暇旅行を計画しているような感じです。ガイドブックをどっさりと買い、素敵な計画を練るのです。 遺跡のコロセウム。ミケランジェロ。ベニスのゴンドラ。 きっと、イタリア人の巧みな言葉遣いを学ぶでしょう。 すべてが、とてもワクワクします。

このような熱望する期待の月日を過ごした後に、その日はついにやってきます。
荷造りをして、そして出発するのです。何時間かたつと、飛行機は着陸します。スチュワーデスがやってきて、こう言うのです。「オランダへようこそ。」

「オランダ?」とあなたは言います。
「オランダってどういうこと??
イタリアにいく計画をしたのに!イタリアにいるものだと思っていた。
イタリアにいくのが、子どもの頃からの夢だったのに。」

しかし、飛行計画は変更されてしまったのです。
オランダに着陸してしまったので、あなたは、そこに滞在しなければならないのです。

大事なことは、あなたは、疫病や飢饉や病気が蔓延している恐ろしく、不潔な、いやな場所に連れていかれなかったことです。
ただ、場所が違っていただけなのです。

だから、あなたは、外へ出て、新しいガイドブックを買わなければなりません。そして、まったく新しい言葉を学ばねばならないのです。 また、これまで、出会ったことのないような新しいグループの人々に出会うことでしょう。

ただ、場所が違っていただけなのです。
そこは、イタリアよりゆっくりしたペースの所で、イタリアほど華やかではない所です。しかし、少しの間、そこで過ごし、はっとまわりを見回すと‥‥オランダには風車小屋があるのに気付きはじめる‥‥‥ そしてチューリップもさいていることも。 オランダにはレンブラントの絵もあるのです。

だれもが、イタリアにいったり、きたりに忙しく‥‥‥そして、彼等は、そこでいかに素晴しい時間を過ごしたかについて自慢しています。そして、あなたはその後の人生の間中、「そう、そこが行こうとしていた所なのだ。それが計画していたことなのだ。」と言うでしょう。

そのような苦しみは、決して消えることはないでしょう。
なぜなら、その夢がなくなってしまったのは、確かに重大な損失だからです。

しかし‥‥‥もし、あなたの人生をイタリアに行けなかったという事実で苦悩することに費やすなら、あなたは、オランダでの特別なもの、とても素敵なことを自由に 楽しむことは決してできないでしょう。



はじめて読んだ時、目から鱗でした。あー、こんな考え方もあるな、すごいいいたとえだなって。私のバイブルです。

ピアのレット症候群の検査、することになりました。DNAの検査です。まだリサーチ段階の検査で保険が利かないので出費はかさみますが、これで最後、これで踏ん切りつけようとダンナとふたりで決めたんです。正直言って昨日も書いたように、もうどうでもいいって気持ちは強いです。でもここまで話は持ってきたし、それでもう一つ可能性が削れるんであればそれはそれでいい。それよりも気持ちの区切りつける手段かな。これでもう答えを探し続けるのは止めようと思います。私のたどりついたその国はオランダ。ここにしばらく住んでみようと思います。

Wednesday, 26 July 2006

Who Cares?


もしかしたら心配して読んでくれてる方もいらっしゃるかもしれないので、手短かに今日の報告です。

基本的には、お医者さんはレット症候群とは思わないこと、その理由はレットの子はもっと普通の成長をしててそれからできたことができなくなって来るけどピアは始めから発達が悪いこと、いくつかは当てはまる症状があるので一応調べてみようとゆうこと、普通にできる検査かリサーチとしての検査かわからないので調べて連絡くれることになったこと、もしリサーチなんだったらピアが対象になるかも調べて連絡くれることになったこと、もしピアがレット症候群だったとしても今してること以上には何もないこと(また・・・)、それ以外に思いつく今できる検査は他にないこと、とこんな感じです。

で、帰ってきて私の思ったこと。なんだか先生と話すだけ話したらすっきりしちゃって、っていうか少し投げやりなのか、もうどうでもいいやって。今になって考えたら、どうしてあんなにむきになってたのかなって。確かに今でも知りたい気持ちはいっぱいです。もう一生歩けないんだったら話せないんだったら、それでもいいから知りたい、その気持ちは変わらないんだけど・・・。でも、もうわからないんだったらわからないんでいいじゃない?ピアはピア、歩こうが歩くまいが、話そうが話すまいが、かわいいかわいい私の娘。元気でいてくれたらいい、たまにでもニコニコ笑顔が見れたらいい。ちょっとずつでも成長を見せてくれたらいい。歩みが危なっかしかったなら、ずっと手をつないでどこへでも一緒に行こう。言葉が拙かったらいっぱい私が話してあげよう。もし歩けないんだったら一生私がだっこしてあげる。話せないんだったら私だけがメッセージわかるようになって通訳してあげればいい。結婚して子供を産んで、そんな将来がないんだったらそれもそれでいい、一生かわいい娘を手放さなくていいってこと、うれしいやん?そんな気持ちです。

何となく今日自分の気持ちに区切りがついたような気がします。
結果がどうであれ、これから長い道のり、もっとポジティブにできるだけいいとこだけ見てやっていきたい。もしまた弱音を吐いたら、それはそれで許してください(笑);)

今日のLO: 生まれたてホヤホヤのピア。2004年12月4日午前8時55分、予定日より2週間早く3000グラム、47センチで産声なく生まれてきました。大切な大切な私の人生の一瞬です。products used: all by Denise Docherty

Tuesday, 25 July 2006

Tomorrow

いよいよ明日、小児科医に会う日が来ました。
毎日のセラピーやお兄ちゃんの誕生日パーティーの準備に追われてるうちに、とくに落ち込んだり心配したりする暇もなく前日を迎えた訳ですが、いよいよ明日となると、心も体も疲れきってるのにますます眠れそうにありません。隣の私の両親も、何やら話し込んでる様子です(窓から見えるんです)。明日先生と会ったからって何がわかる訳でもなく、万が一また何か検査をすることになったとしても、また何週間もの結果待ちになるでしょうね。今晩一晩考えて、いろいろ思ってること話して、気になってたこと質問して来ようと思っています。

先生に最後に会ったのがピアのMRIの結果を聞いた年明けなので、それから半年以上経ちました。たいした進歩もなく、ちょっとした進歩に大喜びしては、できていたことができなくなってたり・・・なんてこともあり、ほんとに浮き沈みが激しい毎日です。ピアの発達の遅れの原因が分かったとしても、今してること以上にできることは何もないってことは何度も言われてわかっています。でもわからないのはつらい。待て待てって言われたって、待つのはしんどい。だって、何歳でもいいけどこの子はいつかは歩けるようになるから、拙くても話せるようになるからって誰も言ってくれないんだから。いつかは一緒に手をつないで歩ける日が来るのかな。mummyって呼んでくれる日が来るのかな。私たちが死んだ後一人で生きていけるのかな。もし歩けないんだったら、話せないんだったら、覚悟はできます。それでピアに対する愛情が変わる訳でもない。ただ毎日“あした”を迎えるために、前向きに一日を過ごせるように、ピアのことわかりたいだけなんです。

とにかく。行ってきます、明日。

Thursday, 13 July 2006

It Takes Two To Love


とにかく忙しい一日でした。
まずは朝から、今日から12週間の 子供の言語発達に関するコースが始まりました。どのように言語障害のある子供の(もちろんない子でも)コミュニケーションを促すかその方法を教えるもので、8回のワークショップ(親のみの参加)と3回の言語療法士による家庭訪問(実際に子供とのコミュニケーションの様子をビデオに撮って見るセッション)で成り立ちます。今日は第一回目のワークショップとゆうことで、それぞれの子供の今現在の発達段階を見極めるために書き込まされたリストに目を通しているうち、どうしようもなくなって泣いてしまいました。その質問とは、“親しい人の声に反応する”“笑顔を見せると笑顔で返す”“名前を呼ぶと顔を見る”などからはじまるり、それに"Always"から"Never"までの4段階で答えて行くのですが、あまりの"Never"の返答の多さにたまらなくなって・・・。何度か出そうになる涙を引っ込めたんですけれど我慢できなくなって、みっともなくも人前で泣いてしまいました。とっても後悔しています。そこにいる親御さんたちはみんな、障害の違いや言語発達段階の差はそれぞれでも、みんななんらかの障害のある子供たちを持っていて、私と同じように日々つらいことを乗り越えてきている人たち。それでも前向きに子供たちのために頑張ってる人たち。そんななかで周りの人たちみんなに嫌な思いをさせてしまったと思います。次は絶対あんなことのないように、泣くんだったら前の日にしっかり“泣きだめ”しとこうと思います。コースについてはまた報告しますね。特にビデオ・セッションは楽しみです。しっかりポジティブに考えて頑張りますから見ててください。

次は上の子の幼稚園で先生との面談があり(それについてはまたの機会に)、夜は幼稚園のママさんたちとのディナーに行ってきました。みんな有閑マダムで、話の内容はと言えば子供たちのことがメインで、後は最近行った美容院の話にジムの話など。私なんてもう半年以上美容院なんてごぶさた・・・。彼女たちの“カラー”はどんなブロンドにするか、私の“カラー”はここ数年で恐ろしく増えた白髪染め。彼女たちがPTと略すのは"Personal Trainer"であって、私の"Physiotherapy"(理学療法)ではないんです。
ほんと楽しく息抜きさせてもらったけど、あまりの差に愕然とした・・・。

そんな感じで、今日の私は考えすぎて、何も考えられなくて、何を考えたらいいかもわからない、そんな感じでした。そんな日もあっていいかな。ふと昨日の晩久しぶりに私の腕の中で眠りについたピアを思いました。咳が止まらなくて少し吐いて起きてしまったピアを抱いているうちに、片手で私の親指を握ったまま寝付いたんです。たまらなく暖かい気持ちになりました。今日のコース、"It Takes Two To Talk"とゆう名なんですが、ほんとそうですね、ひとりじゃ話せない。たまにピアが私のことmummyってわかってるのか、私のこと好きなんだろうか・・・ってつらくなるけれど、そんなことはどうでもいいのかも?私がいるからピアがいる。ピアがいるから私が愛せる。
IT TAKES TWO TO LOVE なんです。

今日のLO: 一歳直前のピアです。クニャクニャだけどかわいいでしょ?大きな声を出すようになって、一生懸命コミュニケーションとろうとしていたような気がします。今ではまたあまり声を出すことも少なく、こんな笑顔を撮らせてくれることもなくなってしまったけど、またそんな日が来ますように。Product used: True Page Set by Anna Aspnes

Monday, 10 July 2006

Being A Daughter

ピアのことに関しては、なかなか私の両親との関係も難しいときがあります。
もちろん、近くに住んでいてこんなに助かることはない。毎日感謝しっぱなしです。でも私にとっては、私のせいで親にもつらい思いさせてるって思うと、これまたつらい・・・。自分がこの状況をどうハンドルするかってこと以外にも、親がどう思うだろうか、どんな思いだろうかって。へこんだ日には、私とピアのせいでみんなにつらい思いさせてる・・・なんて悲観的な考えになったりして(そんな考え方だいっきらいなんですよ、自分でも)。

感謝してるんだけど、反対に不満に思ったりすることもあったりします。
どうしてこうしてくれないんだろう、理解してくれないんだろうって。勝手ですよね。
最近お酒を飲んで、ついそんなこと口走ってしまいました。“みんなつらいのはわかってるけど私が一番つらいってわかってよ。ピアは私の娘なんだよ”って。そしたら言われました。“そしたら私はどうなるの。ピアちゃんは孫、あんたは私の娘でしょ。ダブルでつらいでしょ?”って。それもそうですよねー。そんな会話を母と持ったことはよかったと思うし、自分が言ったことも後悔してない。でもちょっと考え方が変わったような気がします。誰が一番つらいなんてことはどうでもいいですよね。大事なのはみんながピアのこと愛してるってことなんだから。そして私も両親に愛されてる幸せな娘です。

Tuesday, 27 June 2006

I Call Australia Home

Well done, boys!
もともとサッカーは特に見るわけではないんですが、ワールドカップともなると特別です!オーストラリアの出場が決まり楽しみが倍増、そして一次リーグ突破までしたからには、いやおうなく盛り上がっちゃいました。夜中1時からの試合で、朝はダンナのお弁当作らなきゃいけないし、一日中子供たちと3人きりだし、見るのどうしようか迷ってたんですがやっぱり見てしまいました。何となく納得のいかない終わり方ではあったけれど、サッカー大国のイタリアと対等に張り合えたなんてすごい!ですよね。最後の最後のペナルティーまで、もしかして勝てるかも?って思わしてくれたSoccerooです。今朝は国中がチームのことを誇りに思っていることでしょう。

で、思い出したのがJapanとの試合の後。たまたまここに住む日本人のお友達と電話で話したんですが、一言めに“残念だったね。負けちゃったねー”って言われて“エッ?”って思ったこと。私にとっては、“やったねー、勝ったよ!”だったんですねー。オーストラリアに越してきてかれこれ15年。オーストラリア人になって12年。すっかり心はオージーなのでした。日本で生まれて育ったとはいえ、元々の国籍は韓国。だからといって韓国語が話せる訳でもなく、とっても宙ぶらりんで“自分の国”って思える居場所がない、なんて思ったこともありました。家族全員でオーストラリアに帰化する話が出たときには、帰化することはそんな状況に降参するような気がして、一人反対したこともあったな。今ではほんとによかったと思ってます。子供たちはここで生まれて育つオーストラリア人。それに関してはいろいろ悩みもあるんですが、それはまた今度ということで・・・。

もちろんオーストラリア以外の国との試合のときは日本応援しますよー、なんのスポーツでも。大好きなラグビーもシーズンまっただ中。スポーツ三昧の楽しい季節です。
Go Socceroos! Go Wallabies! Go Australia!!

Monday, 26 June 2006

Special Needs

私は“障害児”って言葉、あまり好きではありません。
あまりに幅が広すぎて、そもそも“障害児”って何だ?って思ってしまう。英語では“障害”にあたる言葉は、"disability"だとか"handicapped"なんてのがありますが、“障害児”にあたる単語はないように思います。よく使うのは"special needs"って言葉。"children with special needs"だとか"special needs child"だとか言います。私はこの表現が好き。訳すと”特別なケアが必要なこども”って感じですよね。考えてみれば、子供なんてみんなその子に合った“特別なケア”が必要だと思うんです。それがピアのようになんらかの障害がある子であっても、カイのような健常児でも、みんなそれぞれユニークなんですから。もちろん意味的には“障害のある子供”を表すんだけど、そんな曖昧な感じのする言い回しの方が今のピアの状況には合ってるような気がしする。ピアも特別、カイも特別、それぞれに合った育て方をしていきたいなって思っています。

今日は朝からカイと一緒に、ピアにおすわりの練習やその他physioで教えてもらった運動をさせたり本を読んだりして遊びました。その後、ピアは例のstanding frameに立たせてDVDをふたりに見せながらちょっと家事をしていたんですが、めずらしくピアの機嫌が悪くなったので熱を測ってみたら38度3分。おとなしすぎて病気にも気づいてあげられないことはよくあります。私の注意が足りないのかなーなんてまたちょっと反省して、これからはもっともっとピアのこと観察して少しの意思表示も見逃さないように努力しないとなって思いました。一番長い間一緒にいる私が気づいてあげないといけませんよね。こんなこともピアの"special needs"のひとつなんだと思います。

Sunday, 18 June 2006

Grateful

長い間お休みしてしまいました。心配して連絡をくれた人たち、どうもありがとう。変に心配かけてしまったようですが、我が家はみんな元気でやっています。

3週間前のことになりますが、友達がてんかんの発作で倒れ、その場に居合わせた私が一緒に救急車に乗って病院に運ばれる・・・とゆう出来事がありました。ピアのプレイグループで知り合ったお友達で、彼女にはピアと1ヶ月違いの脳性麻痺の男の子がいます。子供の父親とは別居状態の彼女、家族も遠い海外にいて、一人でその子を育ています。プレイグループ以外に初めて一緒に出かけたわけですが、持病のこともその時知ったばかり。とは言っても私には何の知識もなく、次々と発作が続く救急車の中、障害のあるその子を抱いて、とても怖い思いをしました。やっと見つけた友達が死んでしまうんじゃないか、この子はいったいどうなってしまうんだろう・・・って。うまく言葉では表せませんが、なんだかその日、肉体的にも精神的にもかなり消耗してしまって、とてもブログに向き合う気にはなれなくって。

結局2週間近くの入院になったんですが、その間ほとんど毎日面会に行っていました。その間ほんとにいろんなことを考えましたが、一番思ったのは、私はしあわせだなーってこと。彼女の今の状況を考えるにつれ、どんなにピアのことでつらくても、私は恵まれているなって。私には一緒につらいことを乗り越えてくれる、時には後ろから背中を押してくれるパートナーがいる。カイとゆうピアを愛してくれる健常児の息子がいる。ピアとカイの成長を一緒に見守ってくれる家族が近くにいる。近くにはいなくても気にかけてくれる友達がいる。そして彼女とゆう、これから障害児を育てていくつらさも喜びも分かち合える友達ができたことも。そんなことすべてに感謝の気持ちでいっぱいです。

Saturday, 27 May 2006

Emptiness

父方の祖母が他界しました。
大 人になるにつれ、 自分のことしか考えていない祖母が嫌いになって、いつもいつも“早く死にたい”と言っていたので、死ねばいいのに・・・と思っていたくらい。最後に会った のは3年ほど前。会う前はいつも“もう年なんだし”と優しい気持ちになったりするんだけど、会えばいつもそう思ったことを後悔させられました。家族にまで 嫌われて悲しい人だと哀れには思っていましたが、何度も許せないと思うようなことがあり・・・。それでも私が親になったとき、この人は私の父の母親、この 人がいて今私の子供たちも存在するんだと思い、子供たちの写真をことあるごとに送っていました。でも、たまに電話で話すことがあっても、子供たちの様子を 聞くこともなく、すぐに私の母に代わってと言うし、挙句の果てに“あんたとこの子(最後まで子供たちの名前も、ダンナの名前さえ覚えようとはしませんでし た。ここで言う“あんたとこの子”とはピアのこと)誰に似たん?ダンナに全然似てない。ダンナに似たらよかったのにな。ハーフの子供はかわいいから。”と 言われ、見切りをつけました。なに?それって私の子かわいくないって言ってんの?極めつけは“よそで作った子か”みたいなことを言われ、いくら年寄りでも 言って許されることと許されないことがある、と本当に腹がたちました。それが半年くらい前の話で、それ以来写真を送ることもやめ、話もしていません。結 局、カイを7ヶ月の頃に見ただけで、もう一人の曾孫を見ることもなく、その子に障害があることを知ることもなく死んでしまいました。今までピンピンして て、いつになったら死ぬんやろーって思ってた矢先のあっけない死でした。自分の娘(私の叔母)を訪ねていたアメリカで、私の両親はそれで向こうに行ったん ですが、家族全員に最期を見守られたわけでもない、寂しい死でした。

実際いつかはこんな日が来ることはわかっていたけれど、私自身どう感 じるか想像もつかなかったんですよね。その日が来た今、正直言ってどう感じたらいいか わかりません。ただ、まだあの人を嫌いになる前の頃が思い出されます。小学生の頃毎朝一緒に食べた朝ごはんや一緒に見た連続ドラマ。一緒にはまった“おしん” を見て、奉公に出ていたときに自分も食べていたと作ってくれた大根飯の味。“たけちゃんマン”のことを“ヤケテマング”と言っていたこと。肩こりのひどい 小学生の私に“あんま”してくれた部屋。それがくすぐったくって笑いが止まらないで二人で大笑いしたこと。祖父のお墓参りのたびに涙を流していたこと。買 い物とお金を使うことが大好きで送ってきてくれた子供たちへの贈り物の数々。最後に会ったときの食事、
そして別れるときに泣いていたこと・・・。

Friday, 19 May 2006

Facing The Reality

今日は週一のプレイグループの日でした。
なんとなーく朝から気分の晴れないまま思い腰を上げて行ってきたんですが、ピアは楽しそうにしていたので行ってよかったなと思いました。今日は、たまに見かけるピアより二周りくらい小さな女の子が来ていて、チャンスがあったのでその子のママに話しかけてみたんです。ピアと1ヶ月しかお誕生日が違わないのに、ちゃんとしっかり座ってるし、高ばいで動き回ってるし、楽しそうにおもちゃ振り回して遊んでるし、発達はずいぶんピアより進んでるようです。彼女はダウン症だとゆうことですが、それでふとまた考えさせられました。ピアは今のところ原因不明の発達遅延とゆう診断ですが、いったいそれってどうゆう意味なんだろう?いつまでもそのまま原因わからないまま、どんどん他の子との差が開いていくんだろうか?ほとんど可能性はない事わかってはいるけど、もしかして普通の学校行けるくらいに追いついたりする事ってあるんだろうか?

もうひとつ、今日は正式にプレイグループに参加する為の書類にサインをさせられたんですが、その時にも気になる事がありました。参加が認められるには、身体障害、視覚障害、聴覚障害、知的障害、もしくは自閉症などに当てはまるとゆう条件なんですが、書類の説明をしてくれたディレクターに、ピアは一応“知的障害の疑い”ってしておくねって言われて・・・。まだこんなに小さいのに身体発達障害の方が目に見て明らかなんじゃないの?って思ったんですが。そんなにピアって知能の発達が遅れてるように見えるんでしょうか?自由に動き回るもっと小さな体の子の横で、ただただ横たわって手を口に入れてニコニコしているだけの娘がなんだか少し情けなくなって、何となく辛くあたってしまったような気がします。そんな自分にまた自己嫌悪。あ〜、まだまだ修行不足ですよね。

昨日、前にも書いたピアのボーイフレンドのママと電話で話しました。彼女は南アフリカ人で、今国から両親が訪ねて来ています。前回のグループではお父さんとお会いしたんですが、私たちが旅行中のグループにはお母さんを連れて行ったそうです。そのときお母さんが泣いてしまったらしく、彼女もとても辛い思いをした、と言っていました。そうですよね、きっとお母さん、グループにいる他の障害児を見る事によって、自分の孫の障害を目の当たりにしたんですね。わかるような気がします。私の父もきっと耐えられないでしょう。ピアのバースデーパーティーは家ではできないなって考えた事があります。横に住む両親にはきっとピアのお友達に会うのは辛すぎると思う。でもこれがピアの現実、私の現実。障害児の親にとっては逃げられない現実の世界、まっすぐに向き合わざるをえない世界。特に遠くに住むおじいちゃんおばあちゃんにとっては、ただただかわいい孫だった彼が、彼がいる世界を見る事によって、はじめて障害児だってこと意識しちゃったんでしょうね。それはとても辛いことだと思います。

また、自閉症の3歳足らずの男の子のパパと話したのはもう2ヶ月ほど前のグループでだったと思います。医者には自閉症と言われているけれど、自分たちはそんなことを認めない、と淡々と話していました。私はそのとき、この人この場でそうゆうこと言うべきじゃないんじゃない?って思ったんですよね。ここには“認めざるをえなかった人”たちがいっぱいいるんだよ?それは思ってても言うべきじゃないよって。

現実との向き合い方も人それぞれです。
私はいったいこれからどうこの現実と向き合っていくんでしょう?どう向き合っていけばいいんでしょう?この今現在のuncertaintyも、これからの将来に関するuncertaintyも私たちのreality。これからすこしずつ、その答えを見つけていくつもりです。

Thursday, 18 May 2006

Seasons For Reasons


今回の旅行で子供たちに“季節”を味わわせてあげれたことはちょっとしたボーナスでした。
こ こゴールドコーストでは、本当の春夏秋冬がないんですよね。確かに冬は寒くなるけれど、それでも知れたもの。落ち葉は見れても紅葉なんて・・・って感じな の で、たまに四季のあるところが恋しくなることがあります。最近は上の子がプリスクールで、秋になると木々の葉の色が変わり落ち葉になる、なんてことを習っ てきて話してくれるんですが、本当にわかってるのやら?と疑問に思うかたわら、本物を見せてあげられないのを残念に思っていたんです。そんなわけで、彼に はとてもいい経験になったと思います。2歳になってすぐにプリスクールに行き始めた彼ですが、その時の先生がとっても優しい若い先生で、昨年末に実家のあ るキャンベラに帰ってしまったんですが、その先生にも会ってきました。一緒に散歩した公園で落ち葉の山に埋もれて大はしゃぎ!大好きだった先生との再会 と、キャンベラの秋を満喫したカイでした。ただ寒さには驚いたようで、ぬくぬくした環境で肌も根性もよわっちいなーと苦笑しました。

この経験はきっとピアにとってもいい刺激になったと思います。大きくなって覚えてるような年齢ではないけれど、今まで見たことないような色を見て、落ち葉 の感触にしろ肌寒さにしろ、感じたことのないようなものを感じて・・・。そうゆうことが今の彼女にとってはとっても大切なことのように思えます。

これからも二人にいろいろなものを見せてあげたい。移り行く季節の美しさもそのひとつです。

今日のLO: 久しぶりに見た紅葉は言葉では表せないくらいきれいでした。持ち帰った落ち葉の色は変わってしまった けれど、子供たちの心に少しでもこのキャンベラで見た色が残っていたらいいな。Product used for the layouts: Autumnal Kit by Anna Aspnes

Tuesday, 9 May 2006

Goal

毎日の中で、何か目標とか楽しみとかって必要だと思うんですけど(少なくとも私には)、最近なかなかそれができなくって。今日はそのための第一歩を踏み出しました。ここではその目標を達成してから報告しますね。

楽しみは金曜日からの旅行。ダンナの実家があるキャンベラと友人を訪ねてのシドニーの旅。2泊づつの短い旅行だけど、計画を立てだしてからはそれだけを楽 しみに毎日乗り越えてました。で、ふと思ったのが、帰ってきてからどうするんだ?ってこと。これはヤバイ・・・なにか次のこと考えないとって思って。

そうやって毎回目標を決めて、それを目指しながらはりのある毎日を過ごしたいなーと思っています。そうしないとダラダラと月日がたってしまう。それには人 生って短すぎる!それでなくても育児や家のことに追われる毎日、なにか自分のためにもしたいなって思ったんですよね。そこで短期の目標と長い目で見た目標 を考えました。旅行から帰ったら、その目標目指して頑張ってみようとやる気満々です!途中ちょこちょこっと旅行があったり、パーティーや行事があった り・・・そんな小さなお楽しみは、毎日頑張ってることへのご褒美かな。

Monday, 8 May 2006

The Importance Of Reading

ピアのToy Libraryに行くようになって、本来の図書館の施設も利用するようになりました。2週間10冊まで借りられる(ピアも一人前に図書館メンバーカードを もらった!ので、計20冊借りれる)から、子供たちに読み聞かせするため絵本を何冊か借りるようしています。実は今年の“新年の抱負”だった本の読み聞か せ、3日続けては1週間さぼり、1日読んでは2週間さぼり・・・って感じで最初からいいかげんになってたんですよね。図書館で借りるようになってからも、 やっぱり毎日は読んでません。でもちょっとはmotivationになったかな。

実はピアにあまりにも発声がない、静か過ぎる・・・って心配してたころ、Early Child Health Nurse(検診をする保健所みたいなところ?のナース)に“読み聞かせはしてますか?今からしっかりしてあげてくださいね”って言われてたんです。で も、読み聞かせって言われたって・・・3ヶ月4ヶ月の赤ちゃんにいったい・・・?って感じでいいかげんに聞いてました。今思えばまだあの頃はピアの状況が 把握できてなくって、上の子を育てたように適当育児でやっていけるわって
(笑)思ってたなー。そのことがちょっと悔やまれます。もしその時から毎日読み聞かせしてたとして、今のピアの状況が違ったとも思わないけど、やっぱり最良のことしてあげればよかったなって。今からでも遅くないですね!

ところでうちの母や祖母がよく話してくれるんですが、私も妹も今の息子の年のころにはもう暗記して読めた本があったそうな。うちの母がそんな読み聞かせみ たいなことしてたなんて思えないんですが(笑)。カイはまだまだそんなレベルじゃないなー。それで焦ったってわけでもないんですけど、ふと自分が子供の頃 思い出しました。結構本好きな子だったと思います。今の子供たちは私が子供の頃とは違う世界に生きてますよね。まわりにいろんなものがあふれかえってる し、ビデオやDVD、ゲーム・・・エンターテイメントは山ほどある。実際うちの子は本よりDVDの方がいいって言うと思う、これは私の責任だな。今まで結 構DVDやテレビに育児を任せてきた私の責任。やっぱり本って大切ですよね。子供の想像力をはぐくむ面でも、読む能力、理解力を発達させる面でも、その他 にもテレビやDVDでは得られらい利益がいっぱいあると思う。これはこれは、ますます大変!書いてるうちにちょっと焦ってきてしまいました!明日から真剣 に読み聞かせすることにします。

Thursday, 4 May 2006

Mother's Joy


上 の子が始めて言葉を話した日を思 い出せないんですよね。いきなり今まで話さなかった赤ちゃんが急にはっきりとした単語を口に出したって感じではなかった。その前に親にだけは解るような発 声があっていつの間にかそれがはっきりとした言葉になってたって感じ。初めての言葉は“ママ”の前に"NO!"だった、それははっきり覚えてます。 よっぽど私怒ってばっかりだったんでしょうね(笑)。

でもピアがはじめてサインを使った日のこと、一生忘れないと思います。正直言っ て、はじめての日以来、自信なくしたりやっぱり本物!って喜んだりの繰り返し。やっぱり偶然の手の動き だったのかなーって。それほど娘の手の動きはまだぎこちなく、無駄なよくわからない動きをたくさんするから。それがだんだん自信を持てるようになって、今日確 信に なりました。ピアが一生懸命ぎこちない手つきで意思表示するのがかわいくって、面倒でごはんをあげるのダンナに任せることも多かったけど、今はとても譲れません(笑)。

こ うやってピアの発達はとってもゆっくりペースで、イライラしたりもどかしかったり、たまには“もし普通に育ってたら今頃は・・・”なんて思ったり、いつ ハイハイできるようになるのか、いつか歩けるようになるのか話せるようになるのかわからないけれど、いまは焦ることをやめました。もしかしたらまたそんな 時期が戻ってくるかもしれないけれど、今は平気。そうやって待ち焦がれたわが子の発達のマイルストーンは、きっと普通に成長する子供を持つ親が感じる喜び より大きいと思うから。もし気を悪くされた方がいたらごめんなさいね。でも私も健常児の親でもあるわけで。そりゃあ息子の一つ一つの発達、どんなにうれし く誇らし く見守ってきたか!今でももちろんそうです。それに喜びとか悲しみとか、そういった人間の感情って物差しで計れるものじゃあない、それもわかってます。も し気を悪くされたなら、そうでも思わなきゃやっていけないんだろうなー、と思って大目に見てください(笑)。ただ今こうやってピアとゆう子を持って、ほん とに小さなことに大喜びしてる自分に気づくんですよね。きっと今までだったら、気にもせずに通り過ぎてたような こと。これもピアからの贈り物かな?ほんとにたくさんの喜びを教えてくれる子です。

今日のLO: 今日はお友達親子とでビーチでフィッシュ&チップスを食べて、たくさん太陽を浴びたピア。お話したり、ペリカンの餌付けを見たり。とってもいい息抜きになったな。このピアの表情を見てふと思いついたことをジャーナリングしました。

Saturday, 29 April 2006

Working Bee

今日は上の子のプリスクールのWorking Beeなるものに参加。教室の掃除や片付け、庭の手入れ、教材の作成などを週末に親が手伝う・・・とゆうもので、年に何度かやるようです。だんなに子供た ち見てもらって行ってきました。画用紙を切ってカードにして、ポスターから切り抜いた世界の旗を貼り付ける・・・とゆう作業を割り当てられ、熱中すること 3時間。他のお父さんお母さん方は、庭で作業していたので一人こつこつと・・・。息子のためにと思って参加したはいいけど、実際来た人の数の少なさに ちょっとビックリ。もちろんLong Weekendとゆうこともあったんだろうけど、毎回こうゆう手伝いごとに参加する人って一緒じゃない?子供何人も送り込んでる親もいるでしょ(なぜ来な い・・・)?それに先生たち(園長夫婦以外)が誰一人来ていないとゆうのも納得できず、また料金あげるって連絡来たところなのに、こんなことまで手伝わせ るか?(たまに鉛筆持って来いだの、トイレットペーパーやティッシュ持って来いって言われる・・・私らが払ってるお金っていったい・・・?)こんなことこ こでしてるくらいだったら、家でピアに運動させてあげてればよかった!とちょっと後悔。ま、一度参加したんだし、もう二度と行くことはないでしょう。

ところで作業の最中にだんなからの電話。“ピア、絶対"more"のサインしてるよ!”って。何日か前にここに書いて以来、ほんとに意識しての動きだった のか、たまたまだったのか自信がなくなってたんだけど・・・。どうやら本物だったようです!そんなこと聞いたらますますピアが恋しくなって!帰って思いっ きり、うっとうしがられるほどいーっぱいキスしました。

Friday, 28 April 2006

She's My Joy

今日はとっても実りの多い一日でした。プレイグ ループでお友達ができたんです!彼女は南アフリカ人で、息子さんとピアは月齢が近く発達の具合もよく似ています。とーっても笑顔がかわいくって、体中で喜 びを表現してて、その笑顔見ていたらこころがやわらかーくなるような気がする、そんな男の子。今までグループで何度か顔をあわせてたけれど、今日ご近所さ んだとゆうことを発見。うちの近くのパブにもよく子連れで来るらしく、そんなところも気が合いそう(笑)。携帯の番号を交換して、プレイグループ以外でも 会おうね、と約束して別れました。私にとっても同じような環境のママ友達ができたのはよかったけれども、それよりもっとピアにお友達ができたことがうれし い。普通の子よりのんびりさんな二人、ゆっくりゆっくり一緒に成長していってね。

そんな感じでポジティブに始まった今日一日。昨日このブログに書いたことを読んで、なんてネガティブなんだろう!と反省しました。もちろんこの3日間でわ かるように、これからもこんな風にUp&Downの繰り返しなんだろうけど・・・。もし昨日書いたようなことを今度言われたら、“それは違うよ。 娘は私の喜びだよ。”って、笑って言えるようになりたい。今日ならそう言えそうな気がします!

Thursday, 27 April 2006

Words

悪気のないことばに一番傷つくことがあります。そんなときは悪気があって言われた方が、 いっそこっちも怒って罵ることがで きるのに、と思ってなおさらつらい。先日の息子の友達家族との集まりで知り合った老婦人、娘の歳を聞かれたので答えると、自分の孫と一月しか変わらないと 知っていぶかしそうな顔をされたので、軽く娘の状況を説明しました。とっても親身になって聞いてくれたのはいいんですが・・・。“神様は大きな問題をあな たに与えたのね”、そして“医学の進歩はすごいから、いつかもしかしたらあなたの子、治せるようになるかもしれない”。ん~、なんかこうやって日本語にし てしまうと、いまいち私の感じたことが感じられないな・・・。とにかく、"problem"と"fix"という単語にとっても過敏に反応してしまって、丸 2日経ってもまだ頭から消えない。その時私は“そうですね”って話に笑顔でうなづきながら、"She's NOT a PROBLEM!!!"、"She's not a broken toy that needs to be FIXED!!!!!"って心の中で泣いてました。もちろん彼女はそんな意味で言ったわけではない、ってわかってる。それでも今の私にとってはとってもつ らい言葉でした。ふと思うと、私もそんなふうに無意識に人を傷つけているのかもしれませんね。ことばって、ひとのこころって難しい・・・。